Soma Dialogue(ソーマ・ダイアローグ)なんてたいそうなコピーをあげちゃったなあ、って内心思います。
扉が目の前にあったとき、「もしかしたら素敵なひとがでてくるかも!」とウキウキするとき、「頼むから何もでてこないで」って警戒心が強いとき、「誰でもいいからでてきて!」って切羽詰まっているとき。つまり、その人のこころの状態で目の前の扉の価値が変わる。
好きなひとがいて気分が良いときは、何の根拠もないのに「いまからこの扉が開いて、好きなひとがでてくるだろう」と、思い込むことがあります。なんて能天気!しかし、たいへんな幸福感。もちろん出てきやしないですよ。でも、そういうふうに思えるときのほうが毎日がたのしい。毎日がたのしいというのはむずかしくても、たのしいときが多いほうがうれしい気分になれる。
好きな人がいなくても、扉が開いて「良い知らせが聞けるかも」「面白い人がくるかも」「お得な情報があるかも」なんでもいいのだけど、そういうふうにうれしい想像ができるほうが、やっぱり生きていてたのしいと思う。
別に生きていて「たのしさ」は求めていないっていう人もいる。「たのしい」じゃなくたって「誇らしい」「安心」「愛しい」「満足」「わくわく」「すがすがしい」なんでもいい。自分が「良い」と感じる状態が何年に1度やってくる特別なときではなく、いつもその状態でいられたらいいなあって思う。
そういうふうに思うことは贅沢ではなく、普通のことだと認識すること。フツーなこと。「良い」と思う状態を望んで、それに向かって人は動いていい、みたいな感じ。